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命の泉 ー井戸建設についてー
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水は命に直結
- 世界全体で、上水道や井戸などの安全な水を利用できない人口は約9億人おり、そのうちの半分以上(約5億人)がアジアで暮らしています。(世界保健機構2008年推計)
汚染された水を飲んで赤痢や下痢などの感染症を引き起こし、命を落としてしまう子どもたちも少なくありません。 -
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井戸建設
- アジアチャイルドサポートでは、これまでにカンボジア、ミャンマー、スリランカ、ネパールで井戸建設支援を行ってきました。
井戸を建設後、食べ物が乏しい村では畑ができるようになったり、乳幼児の死亡率が十分の一になった地域もあります。まさに水は命と直結するのです。また水汲みは、主に女性や子どもたちの仕事です。照りつける太陽の下で、数キロも離れた川や池へ行き、毎日暑さと重さに耐えながら水を運ばなければなりません。近くに井戸が出来ることで、彼女たちの生活は大きく改善されるのです。 -
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井戸が出来ると...
- ・安全な水が飲める。
・水汲みの仕事が軽減され、その分学校や家畜の世話などに時間をかけられる。
・水が原因の病気の減少。
・乾季でも水を手に入れられる。
・近くで水が手に入るので、たくさんの農作物を育てる事が出来る。・・・など -
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ミャンマーでの取り組み 井戸建設
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水で命を落とす子供たち
- ミャンマーのエヤワディー管区は無数の川が走る地域です。水が大量にあるのに、飲料水に適した水を手に入れるのが難しい。日本のように清流が流れる川ではありません。赤茶けた泥水が流れる川です。
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- 300名規模の児童が通う学校の飲み水を見て絶句しました。水がめに雨水を溜めて飲んでいるのですがどの水も真っ黒に汚れ、ボウフラが浮き沈みしていました。この辺りでは、子供達が水を媒介とする細菌などで侵された病気で死んでいく子供が多いのです。
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「井戸が出来た」と村人達は大喜び!
- 私達日本人は、水道の蛇口をひねると、スグに飲み水が手に入ります。余りにも簡単に手にすることが出来るために、いつの間にか水のありがたさを忘れてしまったのではないでしょうか。
各村々で井戸が完成すると、村人の喜びは想像を絶するほどです。「これでちゃんとした水が飲める。子供達が腹を下さなくなる。ちゃんとした料理が出来る」と大人も子供も大喜びです。
井戸の完成式典は、どこの村でも盛大に行われました。村人達が井戸の完成に心から喜んでいる事が伝わってきます。 -
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ー子供たちへの手洗い指導ー
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ミャンマーでの取り組み 学校建設
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小学校の建設
- ミャンマーのヤンゴン市街地から車で6時間近く走り、さらに舟に乗り換えて2時間余り河を登ると、やっとパヤイ村に着きました。 人口1000名近くの村で、電気も水道もありません。竹で骨組みを作りニッパ椰子の葉で囲われた住居が広場を囲んで建てられていました。
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ここが学校...
- 「ここが学校です」と見せられた建物はボロボロの状態で、壁や天井は穴だらけ。机も腰掛けも黒板さえもなく、雨が降ると勉強は出来ません。
学校と言うには余りにもお粗末でありました。「子ども達に教育を受けさせることは、とっても大切なことです」「でも、私たちは貧しく学校を作るお金も無い。お願いです、子ども達が勉強できる学校を作ってください」と村人達が真剣に訴えてきました。 -
教育の大事さ、学ぶ真剣さ
- 彼等の真剣な思いは本物でした。子ども達に教育をと言う願いは強い。教師は村人達が全員でお金を出し合い給料を払うそうです。しかし、学校建設費を捻出するのは極貧の村人達には出来ません。
この村に学校を建てることは非常に重要であり、会員の皆さんの浄財が最も役立つと判断しパヤイ村に学校を建設することを決定いたしました。
2005年の5月にパヤイ小学校は完成しました。パヤイの子供達は学ぶことに真剣です。「雨が降っても勉強できるようになりました。日本の皆さんありがとう。私達は一生懸命に勉強します」とお礼の言葉を言っていました。 -
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ネパールでの取り組み 女性支援
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男尊女卑の考え方が根強い国
- ネパールは世界で最も貧しい。男性よりも女性の平均寿命が短い世界で、ただ一つの国でもある。男尊女卑の考え方が根強く女性は虐げられた状況。特に地方が深刻で女性は50歳半ば頃で命を失うことが多い。
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一日中働く少女
- 首都のカトマンズから西へ車で3時間ほどの地域がパンチカールバレー、パテルケット村。アジアチャイルドサポートのネパール支援重点地域です。山々の頂上まで段々畑の景色は美しくのどか。
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- 改修工事を行っている、この村のアマンカール小学校で勉強する少女達に「家では、ちゃんとお母さんのお手伝いをしていますか」と聞くとキョトンとした顔で「何を言っているのか解からない」と答えました。「お手伝い」の意味が解からないそうです。
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お手伝いではなく、仕事
- 自分達は朝の4時におきて顔を洗って歯を磨き、それから農作業をやって6時ごろ家に戻ってきて料理をして、ご飯を食べ学校に行く。学校が終わるのが4時ごろ。それからまた農作業、水汲み、洗濯、そして料理。夕飯を済ますのが7時ごろ。それから勉強をして眠るのが10時ごろです。遊ぶ時間は全くありません。
一日中、少女達は働いている。それは親の手伝いではなく「自分たちに与えられた仕事」です。仕事をするのが当たり前。だからお手伝いの意味がわからないのです。 -
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昔ながらの風習
- ネパールの田舎に暮らす女の子達が学校に通うことが出来るのは少ない。昔からの考え方で「女は結婚をして子どもを生み家事を行い畑仕事さえしていれば良い。教育は必要ない」と親が娘達を学校に行かせない方が多い。
少女達は朝から晩まで働いています。特に大変なのがマキ拾い。山々で暮らす人々に電気やガスはありません。料理をする時にはマキが燃料です。起伏の激しい山々を毎日、2時間も3時間も歩いてマキを拾う。大きなカゴを背負い細い山道を歩く。雨の降る時期には赤土の道はぬかるむ。時には足を取られ崖から滑り落ちる事故も起きる。女の子達にとって大変な仕事です。
マキ拾いが終ると料理です。狭い小さな台所には窓さえも無い。真っ暗な部屋にこもり、マキに火を付け料理が始まる。しばらくすると台所は煙がモウモウと立ち込め充満する。強烈な煙の刺激で眼は真っ赤になる。ゴホンゴホンと喉がやられ咳き込む。毎日、この様な作業を繰り返す。少女達は肺病で苦しみ眼病で涙を流す。 -
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少女たちからの質問
- アマンカール小学校の少女達から質問があった。「日本の子ども達は学校が終わって家に帰ると、どんな仕事をしていますか。畑仕事や料理もやっていますか」と聞かれた。答えることは出来なかった。
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池間哲郎さんプロフィール
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- 1954年 沖縄県生まれ。幼少期は沖縄本島北部の自然豊かな本部町で過ごす。中学に上がる直前にコザ市(現 沖縄市)へ転居。米軍統治下時代、米兵の闊歩する基地の街で多感な青年期を過ごす。サラリーマンを経て29歳の時に映像制作会社を設立。経営者、並びにカメラマンとして結婚式、記録映像、CM等の撮影・制作を行う。
その一方、出張で訪れた台湾で山岳民族の貧困と人身売買問題を知ったことをきっかけに、1990年よりアジア各国のスラム街やゴミ捨て場などの貧困地域の撮影・調査・支援を開始。会社経営の傍ら個人で支援活動を続け、1995年より自らが撮影した映像・写真を用いた講演・写真展を開始。アジア途上国の貧困地域に生きる人々の姿を通して、一生懸命に生きることの大切さ・感謝の心・命の尊さを今一度見つめ直そうと伝えている。
1999年に立ち上げたNGO沖縄は、2002年にNPO法人としてまた2014年に認定NPO法人として認可を受け、現在に至る。 -
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クラウドファンディングでの資金の使い道
- ・井戸の建設
・学校の建設
などの費用として寄付させて頂きます。